仏教系NGOシンポジウム開催

 仏教系NGOの活動を考えるシンポジウム「躍動する仏教系NGO―その活動と展望」が、6月1日、龍谷大学大宮キャンパスで開かれました。龍谷大学アジア仏教文化研究センターの主催でJIPPOも協力し、仏教系NGOの草分けともいえる「シャンティ国際ボランティア会」と「アーユス仏教国際協力ネットワーク」、そしてようやく設立5周年を迎えた「JIPPO」が活動を報告しました。
 シャンティの茅野俊幸専務理事は、仏教者の思いにとどまらず様々な人々の力を結集して活動してきたことや、主役は現地の人びとで、自分たちは黒子であるという思いを大切にしていると語りました。
 アーユスの茂田真澄理事長は、NGOと一般の人びとをつなぐ活動を紹介し、JIPPOの中村尚司専務理事は宗門とどのように連携していくか課題を挙げました。
 パネル討論会で同志社大学の小原克博教授は「仏教の存在証明ではなく、困った人を助けるのは当然だという社会意識を広めるべき」だと期待しました。また、松本市にある神宮寺の住職で様々な社会活動を展開している高橋卓志氏は、仏教者と異分野が連携して、スピード感を持って問題に取り組むことが大切」と語りました。

ダーナ・インターナショナル・センターからのご案内

先日、西楽寺の定光様がJIPPO事務所にお見えになりました。
事務局を務めているダーナ・インターナショナル・センターの企画でインドのツアーをされるとのことでした。
浄土真宗仏跡巡拝団 インド、ダラムサラとヒマラヤ眺望の旅」は9月26日(木)〜10月6日(日)の11日間。旅行代金は348,000円。
お釈迦様の聖地訪問をしたり、ダラムサラカトマンズチベット難民問題について考えたりするツアーです。
旅行企画・実施会社は昨年JIPPOのインドスタディツアーでもお世話になったトラベルサライさんです。
お問い合わせは
ダーナ・インターナショナル・センター事務局の定光大燈様(TEL:0824-72-0742(西楽寺))
または、トラベルサライ(ご担当:淡野様、中村様、フリーダイヤル:0120-408-128)へお願いします。
ちなみに、JIPPOは8月にスタディツアーを実施予定です。
決まり次第、ホームページにUPしたいと思います。

JIPPOバザーを開催しました

 JIPPO池田です。
 毎年1月の御正忌報恩講には、本願寺の駐車場をお借りして、活動資金捻出のバザーを開いています。今年も12日から14日の3日間、東日本大震災復興支援の活動資金に充てるため、開催しました。バザーにはJIPPOの会員や全国のお寺から食器やタオル、食品、雑貨などを多数ご提供いただきました。法要に参拝された方から「去年も来たので、今年も楽しみにしてきたよ」と声をかけていただき、とてもうれしく思いました。

 今年はバザーの横で、JIPPOの「カフェ・ティモール」でホットコーヒーを淹れ、一杯100円でお出ししました。コーヒーを淹れる間にJIPPOの活動についてお話しできたのもよかったです。

 3日目はあいにくの雨でしたが、無事に3日間終えることができました。
品物をご提供いただいた方、ご購入いただいた方、お店を手伝っていただいたボランティアさん等々、協力いただいた皆さまに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。

団結のもちつき大会

 毎年、1月第2週の土曜日に東本願寺前の公園で開いている「餅つき大会」が今年も盛大に行われました。
「野宿の仲間が支えあい、みんなで団結を深めよう」という趣旨で開かれ、今年18回目を迎えました。
一緒に参加した学生さんは「私が生まれたころから続いているなんて知らなかった!」とびっくり。40kgのもち米をみんなでついて、おいしいお雑煮や餡餅に舌鼓を打ちました。獅子舞の披露もあり、和気あいあいとした雰囲気でした。
 JIPPOも野宿者支援を初めて4年目になります。野宿の方は、さまざまな背景を抱え、厳しい環境の中で生きている人たちですが、お会いしていると逆に励まされることも多いです。私たちも少しでも力になれるよう、今年一年また新たな気持ちで過ごしていこうと思います。

お勧めです!福田直樹さんのチェンバロ新作CD「バッハ〜孤高の響き〜」

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

まだまだお正月気分が抜けきらない事務局池田です。
一昨年、昨年と8月に開催の「被爆ピアノ演奏会」で素晴らしい音色を奏でていただいている、チェンバロ奏者・ピアニストの福田直樹さんが、事務所にいらっしゃいました。

福田さんは、昨秋に新作CD「バッハ・有理音程チェンバロ≪孤高の輝き≫」を発表!さっそく聴かせていただきました。

それにしても「有理音程」って何?
福田さんのお話では、かのピタゴラスも追及した、それはそれはピュアな美しい響きで、数理的に計算されるものだそうです。福田さんは3年もの時間を費やして、この純粋な音のみでバッハを構成することに成功しました。音楽なのに、物理の授業??って感じです。
でも、理屈抜きになんだかす〜っと心に入ってきて、思わず仕事を忘れそうでした。

このような和音による音楽を極め、奏でることができるのも、絶対音感をお持ちの福田さんならではだと感じました。
音の研究者、音の匠です。

また福田さんのピアノを間近でお聞きしたいです。

みなさま、今年もJIPPOの活動にご協力のほどよろしくお願いいたします。

お寺から市民社会へ

お寺から市民社会
―社会活動と国際貢献に取り組んだ長尾憲彰師−
                        JIPPO専務理事 中村 尚司
 長尾憲彰さんに最後にお目にかかり、お話を伺ったのは2010年10月18日だった。古い友人であるフランスの映画監督Samy Pavel氏が来日し、京都を舞台に映画撮影をしたいという。日本、インド、タイそして欧米などをめぐる多文化の葛藤と交流をテーマにした“In a Small World”という映画である。古刹の建物や庭を背景にして、物語を進めることになっていた。いつもお願いばかりの一方的な関係だったが、その日も常寂光寺における撮影許可をお願いした。これまで長尾さんに頼みごとをして、断られたことは一度もない。難しい場合は、代案を示して下さる。気風の良い方である。長い闘病のやつれもなく、その日は快活に話されていた。映画撮影は、即座に許可していただいた。
 この映画では、タイ国の観光地パタヤを舞台にドイツ文化、インド文化そして日本文化がめぐり合い、新しい世界を拓いてゆく。最も長期間のロケをしたのは、タイのパタヤである。主人公が風俗産業で働く女性だということもあり、タイ政府の許可を得るのに時間がかかり、映画の完成が遅れた。2012年10月22日にバンコクの映画館で試写会ができるようになり、なんとか2013年3月のベルリン映画祭へのエントリーに間に合った。その報告をするため、常寂光寺に伺おうとしていた矢先に訃報が届いた。葬儀の場で隣に座った石田紀郎(市民環境研究所)さんと、東電福島原発被災地の放射性物質を除去する方法について話しながら、見通しの立たない除染事業でも、長尾さんが元気なら支援してくれるはずと口惜しかった。
 長尾さんに初めてお目にかかったのは、龍谷大学に転職した1984年4月1日だった。転職者同士の新米教員として、挨拶したのが始まりである。その日以来、京都生まれ京都育ちであるにもかかわらず、京都のことは何も知らない私に、京都の歴史や伝統を教えてくださった。それまで口にしたことのない京料理も、ずいぶんご馳走になった。
 長尾さんは、大学における一般教育の担当者(心理学)として、カリキュラム改革に熱心であった。龍谷大学には約200名の在日コーリアンが在学していたが、ほとんど全員が本名を名乗らず学生生活を送っていた。しかし、就職活動になると外国人とみなされ、厳しい排除の壁に阻まれる。日本生まれのため、母語を学ぶ機会も乏しい。長尾さんと共にコーリア語を第二語学の科目にしようと努めたが、日ごろは革新的なドイツ語やフランス語教員の反対が強く実現しなかった。新米教員の力不足を、思い知らされたものである。
 学内での制度改革がはかどらないまま、学外での市民運動で顔を合わす機会が徐々に増えた。長尾さんの紹介で、京都の環境運動の主要人物にも会えるようになった。全国的な運動にもつながるようになった。水俣市から駆けつけて、常寂光寺で一人芝居『天の魚』を演じていた砂田明(文学座出身)さんは、水俣を訪問するたびに、「乙女塚」のある自宅に泊めてくださった。
 長尾さんは河合隻雄(元文化庁長官)と同門の心理学者であったが、ユング派の精神分析理論には熱中しなかった。思い切りの良い人であり、定年よりも早く退職して、市民運動に力を注いだ。僧侶としても、身寄りのない女性の納骨堂を建設したりして、他者の追従を許さない画期的な仕事をされた。私自身は経済学を教えていたが、マーシャル以来の新古典派綜合理論には学問的な関心を持てなかった。次第に長尾さんの市民運動に追従していった。
 長尾さんと一緒に取り組んだ市民運動の中で、最も印象深い環境保全運動は、石垣島白保海岸の青サンゴ上に築かれる大型空港を阻止する闘いであった。石垣空港建設阻止運動は、長尾さんのご尽力がなければ、頓挫してしまっていたかもしれない。ロンドンのエコロジー運動の集会で報告したり、TV局チャンネル4で呼びかけたりした時も支援してもらった。公有水面埋め立て問題の理論家である熊本一規(明治学院大学)さんや私が石垣島調査に行く費用の一端は、長尾さんが負担してくださった。環境問題に取り組む運動において、主要な役割を演じながらも、長尾さんは謙虚な人柄であった。賛否が対立したり、会議が紛糾したりしても、自分の主張を強くすることが少なかった。対立する双方の話をていねいに聴き取りながら、いつも多くの人が納得できる解決案を用意していた。日頃から、宗教法人は収入の4分の1を、社会運動や国際貢献に役立てるべきだ、という持論を語り、そして自ら実行していた。(『朝日新聞』2012年12月8日夕刊の追悼文を参照)
 僧侶としての建前にはこだわらず、長尾さんが750ccの大型バイクに跨り、嵯峨野の細い道を縫って、颯爽と疾走されていた英姿を思い出す。乗用車に乗り換えるとき、「中村さんにナナハンを譲る」といってくれた。しかし、不恰好な私にナナハンは似つかわしくない。50cc原付のホンダ・カブに乗って、ぐずぐずと定年退職までバイク通勤を続けた。今となっては、臆病者の私が長尾さんの後塵を拝することも及ばない。不恰好ながらも、長尾さんの生き方から少しは学ぶつもりである。

東ティモールってどんな国?

 12月3日、東ティモールから3人のゲストを招いて「東ティモールってどんな国?〜独立から現在、未来を語る〜」と題したシンポジウムを開きました。
 東ティモールは今年独立10周年。そして第二次世界大戦下で日本が事実上占領して70周年という節目の年です。歴史的にも日本とつながりのある東ティモールですが、東ティモールのことはなかなか知らないですよね。
 シンポジウムでは、独立運動時代から人権擁護の運動にかかわってきたヌグロホ・カンチャスンカナさんをはじめ、ジェンダーの問題に取り組んでいるラウラ・アブランテスさん、インドネシア社会史研究家のヒルマール・ファリッドさんの3人が東ティモールの概要や現在の問題点などを分かりやすく話してくださいました。会場からも教育やジェンダー、宗教面など突っ込んだ質問が出され、1時間半の予定を少し延長するなど、時間のたつのがあっという間でした。

 JIPPOは設立以来ずっと東ティモールのコーヒーのフェアトレードで微力ながら支援してきました。東ティモールは国民の9割が農民で、コーヒーに生計を依存している人びとが大勢います。でも国の財政としては、2006年からオーストラリアとの間にあるチモール海で石油の産出が始まり、9割以上が石油関連の収入に頼るようになったそうです。
 シンポジウムでは「独立のときは敵は1つだったけれど、独立してからは社会や経済や文化などいくつも戦う相手ができてしまった」という表現が何度か聞かれました。私たち日本人も、東ティモールの人びと協力、連帯して、問題を一緒に解決していきたいと思いました。