「犬の島」を夢想する

江戸幕府における歴代将軍の中でも、5代目の徳川綱吉はたいへん聡明な人である。儒教を学び、善政を志した。とはいえ、あらゆる権力を掌中にする世襲制の無理は、シリアのアザトも北朝鮮金日成も変わらない。<生類憐みの令>もその一環である。
拙宅には、体重10kgの小型犬がいる。私の海外旅行中に、息子が生後3週間の子犬を買ってきて、「チャチャ」と名付けた。家の中で、放し飼いにしている。犬の仲間がなく、出会うのは人間ばかりである。私は綱吉のような権力者ではないが、生類に憐みの情を持つ。芸を教えたり、躾をしたりしようと思わない。むしろ、いくぶんか罪の意識を禁じ得ない。
犬は犬と一緒に暮らすのが、生物種の自然である。人間の都合だけで、飼いならすのは自然に反する。瀬戸内海の無人島を手に入れ、犬だけが暮らす環境を作る。「犬の島」の浜辺には、<人類立ち入り禁止>という高札を掲げる。決して実現しない夢である。
松尾芭蕉は、綱吉の同時代人である。「行く春や鳥啼き魚の目は涙」は、月並みの駄作である。鳥が啼き、魚の目に涙が宿るのはありふれている。しかし、この駄作によって、芭蕉白河の関所を越え、『奥の細道』へ歩み出すことができた。月並みな「犬の島」の夢想が、新天地を開く契機にならないだろうか。
中村尚司